兼井 亨著作リスト


No. 1
標題:兼井 亨[ヒロシマ もう一つの顔」を読んで 山口氏康著 青弓社 刊副標題:No:
著者:兼井 亨誌名:労研通信
巻号:24/刊年:1986.8/頁:11〜12/標題関連:

山口氏康へ



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「ヒロシマ もう一つの顔」を読んで  兼井 亨 (労研通信No.24号 1986.8.28発行 掲載書評)

 

広島市の市会議員だった山口氏康氏の『ヒロシマもう一つの顔』(青弓社・千六百円)が出版された。その前書の一節は次のように書かれている。

 -―四〇年前に原爆の惨渦にみまわれた広島は、「ヒロシマ」として世界的に有名である。だが、ノーモアヒロシマの言葉のもつ陰影、悲しき、清潔さの混じり合ったイメージとは違う、もう一つの顔がある。それは、広島市役所を舞台として市長ら理事者と市議たちが演じる政治劇である。ドロドロした流れの中を、人影がうごめいている舞台とでも言おうか。それを私は書いてみたいと思う。

 私も山口氏同様に広島市内に住む百万市民の中の一人である。いまは広島市域に編入された郊外に生まれ、地元の新聞社に勤め、応召したがために原爆をまぬがれ、戦後再び記者生活に戻り、多少とも広島市政にかかわりをもった者にとって、「広島」はいつも二つの顔をもっていた。「きれいなヒロシマ」と「きたない広島」の共存である。ノーモアヒロシマを叫ぶ為政者が、同時に私利私欲のために権謀術数をめぐらせる。この二重性は今後もなかなか変わりそうにない。なぜなら、市民の大多数は保守的な風土に身をゆだね、政治や行政はあなた任せであるからだ。この本は、その意味で。広島市民への告発の書である。

 目次の順に内容を簡単に紹介すると、[ボス議員との出会い]では保守系の大ボスが市議会での多数派工作のため、革新系の新人山口氏の自宅へ元日に突然訪れ、「御年玉 御室様」と、しるした封筒を置いて帰ったエピソードが出ている。中身は二十万円の札束だった。同氏はむろん突き返す。

 [開発公社汚職事件]と[暴かれる疑惑の数々]は圧巻である。議員のだれもが見過ごす決算書から『疑惑の芽』を見つけ出した山口氏は、極秘裏に調査を始め、以来三年間にわたり執拗に追求し続ける。同氏の努力で議会に設けられた百条調査特別委員会は、保守会派の画作で結局、審査打ち切りとなるが、財政局長ら市の幹部、ボス議員、宅建業者たち計十人が捕まり、助役の一人は辞職した。このほか荒木武、現市長や通産官僚の疑惑、地方財界に食い込むフィクサーの逮捕と自殺など、スリルに富んでいる。

 [議員の任務]では議会のチェック機能の重要性を説く一方で、市長ら理事者に尾も熱質問原稿を理事者に事前に見せ、答弁しやすいように内容を変えて恥じない議員などが描かれている。

 [議員の生態]は共産党議員の偏狭さを示す具体例をあげているほか、山口氏がタクシーに乗っていてふと耳にしたラジオの、主婦の声をヒントに、市が取り過ぎていた水道料金一億円を返還させる痛快きわまる話、無意味な国内や海外の行政視察、不明朗な調査研究費の使途など、市税無駄遣いの実態を明らかにしている。

 ところで、この種の本は著者のプライベートな面に触れないのが普通である。どんな生きざまをしてきたかが抜けたまま、公的な人間像だけを読まされる。だが、山口氏は[私の生い立ち]のなかで隠すとこなく自分の出生と遍歴を語っている。家が没落し里子にだされた幼少期、小学校高等科を終えると、すぐ酒屋へ丁稚奉公に入った少年期、恋に目覚めたものの、おのれの貧しさに自ら逃避して船乗りになった青春期、軍隊応召、原爆、敗戦、共産党入党、同党との決別―を読んでいて、それは山口氏の恥辱ではなく、勲章だとつくづく思う。

 [市民とともに]では夫に死に別れの女性への支給される児童扶養手当の不備を、女性たちとともに中央官庁に陳情して法改正させたり、杓子定規の開発許可や市道編入、地区の美化、かまぼこ業者の集団化事業などを、粘り強い折衝で解決した事例を紹介している。

 [大衆闘争]では締め出された漁民のための漁協設立、大田川流域下水道の建設反対闘争という二つの問題に、地域住民と取り組んできた経過、さらに学校事務職員の地位向上に成功した顛末を書いている。

 [決定とは何か]では、一九九四年(昭和六十九年)に広島市を中心に開催されるアジア競技大会の用地建設と西部埋め立て地開発の奇々怪々な動き、中央卸売場市場移転問題のからくり、ぜいたくすぎる市庁舎の建設などが取り上げられている。

 最後の[原爆・平和]では広島市が「非核宣言都市」を渋々宣言したうち内幕をあばくなど平和問題への取り組み方の不十分さを大胆に批判している。

 以上がこの本の大まかな内容であるが、それが事実に即して多くの実名で書かれている点も注目される。したがって、無味乾燥な広島市史に比べ、ビビットな資料として貴重な出版物であると保証してよい。

 広島市政を内側からつづったものは戦後、故浜井信三市長の『原爆市長』しかない。彼は原爆投下の日から二十年間の、復興期の広島の歩みを記録した。それに続くのが、昭和四十六年から五十八年までの十二年間を記録した山口氏のこの本である。しかも、広島市議会の内側からの執筆は同氏をもって初めてとする。

 私は長年、新聞記者をし地方自治体に少なかならぬ興味をいだいている関係で、それに関する本にかなり接してきたつもりである。しかし率直にいって落胆する場合が多い。役人の書いたものは固苦しい条文解釈にすぎず、学者のものは抽象的である。知事や市長など地方自治体の責任者のものは自画自讃で、私のような新聞記者は現象面をなでただけ、といった具合である。山口氏の本は、こうした欠点を見事吹き飛ばし、驚くべき行動力と研究心とで、公正な市政が運営されるために活躍した一市議員の清潔で勇気ある姿が結晶している。

 この中に書かれている事例は全国の地方自治体共通の課題が多い。一見、不可能や不条理に映る難題も、豊かな感受性とひたすらな研究心があれば解決することを、この本は証明してみせる。また、主義、信念という抽象概念はそれ自体無力であり、大衆のなかでのみ開花くものであるということを教えてくれる。

 ヒロシマの素顔を知りたい人も、自分に一番身近な町や村の政治・行政を見直したい人も、さらに「物を考えるヒント」を楽しみたいだけの人も、ぜひ一読してほしい。文体もさわやかである。

 (筆者は元中国新聞特別解説委員)



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